2007年01月01日
銭形平次は秋葉原の近くに住んでいた? 〜 銭形平次の碑 〜
お正月らしく新年一発目は歴史的なスポットです。
先日、神田明神の境内案内図を見ていて、その中に『銭形平次の碑』というものがありました。えっ、銭形平次って、あのテレビでやってた『銭形平次』?
もちろん見に行ってきました。
先日、神田明神の境内案内図を見ていて、その中に『銭形平次の碑』というものがありました。えっ、銭形平次って、あのテレビでやってた『銭形平次』?
もちろん見に行ってきました。
小さい頃から親の影響で時代劇好きだった私は、よくテレビの『銭形平次』を見ていました。オープニングの歌は今でも明確に覚えています。「おーとーこぉだったぁらぁ〜♪」
改めて調べてみると、『銭形平次』は野村胡堂という方原作のフィクションで、捕物長ものの名作だそうです。なんとこの原作は昭和6年に書かれたそうです。ほとんどの方はテレビの時代劇でご存知かと思います。悪人を捕まえる時に銭を投げつけるあれです。
主人公の平次は、設定では神田明神下御台所町(現在の外神田2丁目付近)に住んでいたことになっていたことから、昭和45年2月に有志の作家と出版社が発起人になって、この地を見下ろす場所に石碑が作られたようです。
『銭形平次の碑』の場所は神田明神後社殿のすぐ右側、男坂のちょっと先にありました。石碑はちょっとわかりにくいですが、その横に白い杭があって「銭形平次の碑」と書かれていたので分かりました。
この白い杭が目印です。
石碑の横にある説明書きの立て看板。これを後から読んで、右側に「てぇへんだ、親分!」のがらっ八の小さな石碑もあることを知りました。そういえば同じような小さな石碑がありましたが・・・。写真撮り忘れました。
そして『銭形平次の碑』の台座をふと見ると、なんとあの投げ銭の『寛永通宝』になっているではありませんか!凝ってますね。
石碑の台座は"投げ銭"として使われていた『寛永通宝』を模したものになっています。
平次が住んでいたという場所の設定は、結構細かく決められているようで、「明神下の神田御台所町、鰻の神田川の近所」だそうです。調べてみると、鰻屋の神田川本店というのが外神田2-5-11にありました。江戸時代からやっていたかどうかはわかりませんが、この近くに平次が住んでいたことになっています。この場所は昌平橋通り沿いの神田明神下交差点のそばにあって、秋葉原とは目と鼻の先になります。
『銭形平次』はそんなにメチャメチャ好きで見てた訳ではありませんが、こんなに近くに所縁の場があると、ちょっと興味が沸きます。さすがに秋葉原は江戸時代の中心地だった神田に近いだけあって、歴史的なスポットがたくさん存在しています。
電気街や萌えも好きですが史跡も大好きなので、またこういう場所を見つけたら行ってみて紹介したいと思います。
■参考記事
・『銭形平次捕物帖』 −さんぽみち総合研究所さん
・捕物小説の世界 −鳥居電業株式会社さん
・明神下 神田川本店 −livedoorグルメ
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